にじめめ

平成21年、23年、令和元年生まれの、年の差兄弟の育児&主婦の日常

二度の流産を経験しているんだけど。。初期流産 お腹の張りには要注意!なめたらアカン。妊娠中の出血は危険なサイン?!

出産経験二回

流産経験二回
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我が家には息子と娘がいます。
2歳差で産まれました。
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2人が無事に誕生したあとに流産を二回経験しています。
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妊娠をした2割近くの人に流産は起こると言われていますよね。
なかなかの確率です(>_<)
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私はどちらも12週未満に起こる、初期流産でした。
初期流産では、主に胎児側の染色体異常が原因だと言われています。
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胎児側に原因かあると言われても、責任を感じるのは母体である女性ですよね。
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せっかく宿った命がなくなってしまったことに涙が止まらない日々を過ごしました。
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流産の経緯

一週間生理が遅れる
妊娠の検査をする(陰性)
妊娠はしていないものだと思い、1ヶ月を過ごす
生理が遅れて1ヶ月後に出血がある
今まで以上の出血量に驚く
婦人科を受診する
エコーにて妊娠に気づく
胎児の心臓が止まっていた(8週)
稽留流産で掻爬手術を受ける
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普段から生理不順などはなく、遅れる場合には妊娠しかなかった為に自分で検査をしたものの、陰性でした。
疑うような線もなく、真っさらな陰性。
一週間後でしたら割と正確な判断は可能かと思い、この時点ではただのホルモンバランスの乱れだと自己判断をしてしまいました。
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しかし1ヶ月に遅れてきた生理に異変を感じます。
ダラダラとではなく、シャーシャーと血が溢れ出てくるのがわかります。
血液では追いつかないのか、初めてレバー状のものがゴロゴロ出てくるんです。
でも子宮の痛みなどはさほどありませんでした。
たまに痛みがチクっとするくらい。
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翌日に病院を受診しました。
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そこで思いもしなかった事を知らされます。
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『妊娠してますよ!赤ちゃんが見えます!』
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『えっ???.......』
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ものすごい驚いたのを覚えています。
あの時に陰性反応が出ていた為に、自分が妊娠しているとは思いもしなかったのです。
妊娠の勘とかも全くなし??
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でも一度だけ夕食を食べようとした際に、ウッ??っと吐き気がして食べられなかった日がありました。
あれが、ツワリだったのかも。
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そんな風に思いながら、すぐに現実を突きつけられます。
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『残念ですが、赤ちゃんの心臓は止まっています・・・・』
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頭の中が真っ白になって、涙だけがあふれてくる状況で、感情が一気に上がって下がってわけがわからない状態でした。
そんな経験をしたのはあとにも先にもこの時だけ。

妊娠をしていたんだ!とか、考える暇もなかったのは大量の出血のことがあったから。
貧血などを考えると今日明日には手術をしなければいけないという事。
夫に連絡をして、いったん自宅に戻りました。

二人の子供を実家にみてもらい夫と一緒に病院へ戻ります。

繋留流産でした
この場合胎児を取り出す必要があり、手術をすることになります。

??子宮内容除去術??

出血があるからって病院へ行ったら妊娠していると告げられて、でも流産だから手術をしましょう。っていっぺんに言われても気持ちの整理ができるはずもなく。
ただ、怖いだけ。
承諾書にひたすらサインするだけ。


点滴の全身麻酔を受ける際、10秒くらいで麻酔が効くので声に出して数えることを指示されました。

「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12・・・・」

ここから意識が飛ぶ。
飛ぶ瞬間も記憶にあるので、なんだかとても恐怖(>_<)

手術自体は30分もかからなかったのでしょうが、途中で麻酔が切れてしまい、ちょうど胎児を取り出した後のようでした。掃除機のような音が鳴り響いています。
麻酔が切れているので痛みも感じ、痛くて、痛くて涙が溢れました。
痛みに弱くないはずだけど、これは痛かったー。。
頑張った後のご褒美がないのと同じ状況なんだもん.....

その後は安静にしなければいけないので病院のベッドで1時間ほど休みます。
痛みがあったので眠ることができず、待っていてくれる夫に会いたくて仕方がありませんでした。

入院の必要もなく自宅へ帰宅。

自宅でも夫と一緒に涙の夜。
たくさん話しました。

「ごめんね。」
「一人で辛い思いをしたね。俺が悪かったよ・・・」


そういって夫は泣いていました。
赤ちゃんのこと悔しかったんだよね。。。

私たちは普段からけんかもすることはなく、ふざけあいながら笑っているような夫婦です。
それでもぎくしゃくするときもあります。
当時、ちょうどそんな時期で私は二人の子育てに疲れ、夫は仕事に疲れ、なんとも不穏な空気が流れている時期でした。
でもこのことがあってから夫婦の絆、家族の絆は間違いなく深まりました。

「パパ、ママ、仲良くしてね」

短い間だったけど、おなかに宿ってくれた赤ちゃんが私たちにこのことを残していってくれたのではないかなと思っています。

きっと、私のおなかに来てくれていなくなってしまった事には意味があったんだよね?
パパとママは、家族が仲良く暮らせますように。って想ってきてくれたんだと信じているよ。

「忘れないよ、また来てね」

多分、男の子でした。
その夜に男の子が夢に出てきたんですよね(^ ^)
賑やかだっただろうなぁ....(^^;;

私たちのもとへ来てくれたことに心から感謝しています。


次に妊娠がわかったのはそれから1年半後でした。

また生理が一週間遅れ、検査をするとうっすらと陽性反応がでました!
この時は素直にうれしい気持ちになったのを覚えています。
不思議と流産の事なんか怖くなかったです!

この日から私はお腹を無意識に大事にするようになり、無理をしないで過ごすことを心がけいつになく慎重な毎日を過ごしていました。

それでもまた、流産は起こりました。
横になっても収まらない、生理痛よりは重い下腹部の痛み。
嫌な予感はしましたが、「大丈夫」と言い聞かせて大事をとっていました。

想いは実らず出血に始まり、流産へと進んでしまいました。

受診をして妊娠の確定後、化学流産の確定をされました。

またか。。。

?落ち込む私に病院の先生は
「お母さんのせいではないよ。誰にだって起こる残念だけど防ぎようのないこと。また妊娠を頑張ってみるなら応援しますよ」
ぶっきらぼうな先生の優しい言葉にどれほど救われた事か。
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前回流産した時より、十分に自分を大事にしたよ。
でも結果は同じだったんだ。
だから仕方ないの。。。


今、流産をしてしまって苦しんでいる方。
どうか自分を責めないでくださいね。
私は流産にも意味があると思っています。
流産を経験したからこそ生まれた感情、絆、家族を想う気持ち。

時間が経てば記憶も薄れるなんて思っていたのに、なかなか薄れることはありませんね。
「二人いるんだからいいでしょ」
そんな風には思わないで下さいね。

悲しいばかりかもしれませんが、赤ちゃんはきっとまた来てくれるはずです!
その時のために、我が家に来たいと思ってもらえるよう笑顔で乗り切っていきたいと思っています。
無理に忘れたりしない。
たった一枚のエコー写真。
私にしか見れないキッチンに貼ってあります。
大事な大事な3人目のわが子♪


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